と
最近昼の職場がリニューアルを控え、非常に騒がしくなっている。
師走とはよく言ったもので、まさに年末に向けて師匠やら師匠の師匠やらが走り回ってはイライラをミニ師匠にぶつけ、ミニ師匠のイライラを我々が受け止めているというカスのマトリョーシカみたいな状況が続いている。
父母や周りの大人たちが忙しそうにしている様を見て
『自分も大人になったらこうなるのだろう』
と自然と考えていた小さい頃の自分へ
非常に申し訳ない。
小さい頃(具体的に言えば5〜15歳頃まで)は年越しには、父方の祖父母の元に親戚一同集まって『ガキの使いやあらへんで』を同時視聴する会が開かれていた。
オタク諸君なら共感を頂けると信じて共有するが、自分は罰ゲーム鬼ごっこはカスのユーモアと思っており、逆に机の引き出しネタが最も面白いと思っていた。
しかしながらほぼ全員がドカタ・デキ婚・九州生まれとかいうクソ三拍子の揃っているカス陽キャ98%飲み会のようなこの会では、罰ゲーム鬼ごっこが1番ウケていた。
何がおもろくて行ってたんだマジで。
母は毎回その会に向けて信じられん量の料理を拵えさせられていた。
(前述の通り、カスの三拍子の集まる都合上、コミュニティ内で最も若い女には人権が認められていなかったためである)
結局その会は自分が中学卒業寸前に軽めかつ遅めの思春期を拗らせ、それを察した父母が上に掛け合い消滅した。
今や親戚とは連絡さえ取っておらず、安否さえ不明である。
(これは間違いで、多分連絡は取った方がいい)
今思えば親戚も母も父もみんな立派なものだ。
社会的な地位への羨みを捨てきれず、ただただ実家でのうのうと暮らす彼女無し地位無し金無し知恵無し責任感無しのカスフリーターのどこにドカタだのデキ婚だのと罵る権利があるものか。
(九州生まれは関係ないのでこれからも使用する)
それらは全て、己の犯した過ちに対する責任を取った結果のものであり、誉められたものではないものの決して罵られるようなものではない。
人はきっと勇気や愚かさによって過ちを犯し償うを繰り返していわゆる立派になるのだ。
自分もまたこうして過去を振り返り、来年の年末には師匠から小走りくらいは強いられるような人間に…と思う11月の初めだった。
追記
よく考えてみたが絶対に走りたくない!
クソ社会!絶対に走ってやるか!しね!