ここ最近狂気的にモノを捨てるという強硬策で部屋を掃除してから、8時半きっかりに起床できるようになった。

 


割れ窓理論

(軽微な犯罪をしっかりと取り締まることで凶悪犯罪も含めた犯罪を抑止できるってやつ)

をここまで犯罪者側目線で『わかる〜』ってなったことがなかったけど、確かに一握りといえど、一度手に入れた社会的な正しさは手放し難い。(表現が大袈裟なのはゆるしてください)

 


部屋の汚さだけでなく、そもそも自分の中の倫理観?『〇〇は悪いことだ』という意識の、その〇〇に自分が該当してると『おれ、犯罪者じゃん…』と負い目を感じて生活しなきゃいけなくなる。

 

そうなると経験上精神によくないし、これが続くと『打破できるのにしてない自分ゴミ』って意識も生まれだす。

 

し、なんなら生活の他の部分に『いや、そもそも俺犯罪者やしちゃんとする意味ねえな』となったりする

 

 

これはなかなか怖くて、階段と同じく降りて行く時のスピードと労力は登って行くときの労力と比にならないのだ。

大袈裟ではあるが、本当に限界の時期には殺人事件のニュースを見ては

「ここまで行く可能性ぜんぜんあるな」

となんとなくではあるが感じていた(こわすぎ)

 

ヒトは自分の体内だけでなく、自分のいる環境や行動に関してもある程度の恒常性(ホメオスタシス)が発動するのだなと感動した。

いや違うか 維持する能力って言い方なのか わからん


けど自分の中にはまだ

『いや部屋の汚いことのどこが犯罪なんだよ』

『そもそも部屋が綺麗になったからと言って生活的犯罪者ではまだ全然あるな』

という意識が全然全くと言っていいほど完璧にパーフェクトリィ存在しているので、また生活の窓がカチ割られる日は全然遠くなくて恐ろしい。


生活基準点がスラムになるのか、はたまた箕面市になるのかは本当に些細な違いによるモノなのだと思うと、人間の危うさってマジで怖すぎだろ

 

あとがき

 

8時半に起きれるようになってもなお

『ほなコーヒー飲んでもいけるか〜』

『ほなタバコ吸うてもいけるか〜』

などと思い、普通に遅刻しかけることもある。

 

しなんなら今チャリが駐輪場に停めっぱなしで。現在駐車料金が450円に達しようとしているところである。

今後ともカスタコ準犯罪者のままの山下をよろしくお願い致します。